加藤和彦氏逝去

Oct-19-2009
 



 非常にデリケートな話ですので、慎重に書かせて頂きますが、ワタシは、自殺願虜を一般的症状とする鬱病、特に中高年性のものが、一時のエイズに様に、決定的な死病であると一度は認識されるべきであり、更に、重ねてエイズの様に、既に死病ではない。という社会的な克服の姿を見せるべきであって、それに向けて各セクション(勿論、医師も音楽家も、宗教家も魚屋も、金融業者も化学者も、お笑い芸人も派遣社員も、みんなそこに含まれます)が尽力するのが望ましい。とする立場です。

 ですので、今回、故人の死は、異論もあるでしょうが、ワタシは病死という概念で認識しますし、そういう意味では、今のところ沈黙を守っておられる、フォーククルセイダーズのメンバーにして精神科医である北山修氏の発言が待たれます。それがどれだけ酷な事かは、承知の上で。です。端的に申し上げて、名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」は、鬱的な感受性の煌めきによって、永遠の命を保証されていると言えるでしょう。


(註* 多くの方から、以下のURLをお送り頂きました。有り難うございます。

http://blogs.yahoo.co.jp/miwako_uchigasaki/62443963.html

 五大紙向けの公式コメント。という佇まいではありますが、北山氏の「自殺願虜の感染(ハザード)を食い止める」という、精神科医としての反射的な素振りが感じられます)



 昔からのファンの方はご存知の通り、ワタシは故人の「ソロ三部作」を半ば人生の指針にして来ました。そして、先日のピットイン3デイズ中「シングス・オンリースロウ」という企画の中で、いよいよ故人の歌、具体的には「あの頃、マリー・ローランサン」「女優志願」の2曲を歌うべく、CD盤で購入、30年ぶりほどでプレイしてみて、止めたという経緯があったばかりです(厳密には、J-WAVEの自分の番組でプレイした事があるのですが、あのときはスタジオプレイではなく、曲名だけ指定して、局にプレイして貰い、コメントだけ収録したのです)。

 なぜ止めたのか。という話は当日のMCでもしましたし、一部ネット上に書いたりもしましたが、一言で言うならば、自分で作り上げた偶像が巨大すぎた事を知らされたからです。ワタシが16歳から20歳にかけてリリースされた「パパ、ヘミングウェイ」「ベル・エキセントリーク」「うたかたのオペラ」そして、それらの総決算でありながら、洒脱なボーナス・アルバムの様な軽みをたたえた「あの頃、マリー・ローランサン」は、余りにも圧倒的な存在であり「日本人が製作するアルバムで、これ以上粋でファッショニスタな、大人の音楽は永遠に存在しないだろう」と思い込んでいました。余りの衝撃に、ことあるごとに聴きかえす。という事をせず(出来ず)、買ってすぐに熱病に憑かれたように何百回も聴き、それっきり聴かないままでいたのでした。

 いつか、あれらの曲を歌おう、そしていつか(以下、故人の遺書を鑑みるに、皮肉な物言いとなってしまうのですが)、「もう音楽でやるべき事が無くなったら」、もう、遮二無二取り組んで行く様な、自分が神から与えられた、ミッションもみんなやり遂げ、人生にほんの僅かな余暇が出来たら、隠居作品として、ああいうアルバムを、気の置けない仲間達と一緒に出したい物だ。そうしたら、今度はそれが、スローでスマートな、自分のミッションに変わるのだろうと、30年間思い続けていました。ある日、調べものの流れで、故人がこの三部作を発表したのが30歳そこそこだったと知り、愕然としたのも記憶に新しいです。ワタシは「45〜6で作ったに違いない」と決めつけていたのでした。ワタシが「アイアンマウンテン報告」を作った歳よりも、遥かに若い。マイルスが「マイルス・アヘッド」を作った頃です。ワタシの、「加藤和彦ソロ三部作」への神格化は、更に深まりました。

 そして(これも皮肉な話ですが)、訃報が連発した、この夏の終わりに、「シングス・オンリースロウ」で、歌おうとCD盤を買い直し、総て聴きかえしてみたのです。

 以下、追悼の意の表明として、故人の生前の業績を貶める発言ではないと信じますので、正直に書きますが、ワタシは再び愕然としました。「こんなに青臭かったっけ」と思ったのです。これではオトナではない、オトナごっこのコドモではないか。もっとも近接した音楽は、小沢健二氏のものだなと(オトナが偉く、オトナごっこはいけないとか、ましてや小沢健二氏の音楽が好きとか嫌いとか言う話ではありません。念のため)、生き写しである。と思ったのでした。

 ジャジーに溢れかえっていたと思い込んでいたコード進行はシャンソンやフォーク並みに少なく(しつこいようですが、コード進行が多いから偉いとかいう事では決してありません)、深淵かつ軽い、欧米の粋な短編小説のごとき水準にあると思っていた歌詞は、当時の雑誌広告のボディ・コピーのように薄っぺらで、つまりこれはよくある皮肉ですが、故人が牽引した日本の未来は、故人の作品をして「石田純一のテーマソングみたいに聴こえてしまうなあ。ああ。何と言う事だ」と思わせるに充分なものだったのです。再び念のため。石田純一さんが嫌いだとか好きだとかいう話ではありません。というか、端的に好きですが、あの「あの頃、マリー・ローランサン」が、<ちょっと気を許すと>、というエクスキューズ付きで、とはいえ、石田純一のテーマソングに聴こえてしまうのはマズい。と、文字通り、タイムマシンに何事かを嘆願する様な気分でした。

 こうしてワタシは、今よりも遥かに妄想癖が強く、神格化のハードルが低かった16歳当時の自分が作り上げた偶像を地にそっと置きなおすと同時に、自分の未来に向けての可能性をひとつ切断し、修正を余儀なくされたのです。妄想による神格化は、言うまでもなく自己愛の反映です。自己愛の反映によって対象を歪めてしまう。という、ありきたりな罪をワタシは犯し、静かに、小さく罰されたのでした。ワタシに、そしてあらゆる対象に対して、同じ罪を犯す10代のリスナーも数多くいる事でしょう。ワタシに申し上げられるのは、しかしこの程度の罪と罰は、むしろ人生を豊かにすると言うことです。

 現在のワタシにとって等身大になった「あの頃、マリー・ローランサン」は、「ちょっといくら何でも恥ずかしくて歌えない」ものになりました(かなりしつこくなりますが、楽曲自体が独立して恥ずかしいのだと言っているのでは全くありません。ワタシとの関係に於いて。です)。ワタシは代わりに「今でもぜんぜん自分が歌うべき対象」であり続けるムーンライダースの「G,o,n,P」を歌い、「加藤和彦ソロ三部作」は、ホステスさんやストリッパーさんやヤクザさんに囲まれて育った自分などとはまったく重なる筈もない、生粋のファッショニスタにしてボンボンである故人の、愛すべき、あの当時の時代の徒花として、早熟で輝かしい業績の中〜終盤を飾る、良質な1アイテムとして、収まるべき所に収まる事になりました。

 「音楽でやるべき事がなくなってしまった」という台詞は、痛切な真実、というより、冒頭に書いた、現代社会病としての鬱病の、典型的な症状と考えるべきでしょう。フォークとロックとシャンソンだけを基礎ツールに、キャスティング替えだけで回していたら、そりゃあいつかやるべきことは尽きてしまうだろう。等とは、とても言えないからです。歌うべき歌は、やるべき新しいトライは、道端で一人になってもあるのです。四肢を失っても、瞬きを使ってでも刻むべきリズムは必ずあるのです。故人にも必ずあった筈です。故人のあの声、天性の天声は、まったく変わっていなかったのですから。

 64歳と、近い年齢で自殺した伊丹十三氏を連想した方も多いでしょう。お二人のプロファイリングは、素人目にも大分違うと思いますが、我が国の文化の中での立ち振る舞いには共振性があったと言って間違い無いでしょう。ワタシは、あれだけボンボンで美しく、体躯にも知性にも恵まれ、若い頃からしっかりとお洒落でエッジで、早熟でダンディで軽みがあって、穏やかな笑顔を持ち、多趣味を極め、ガツガツせず、品のあるスタイリッシュな人生を送った人物が、60代と言わず70代と言わず、現在のこの国で、「やる事が無くなった」といって死んでしまう事を、一体誰がどうやったら止められるのか、まったく解りません。あのとき、同じ空を見て、美しいと言った二人の、心と心が、いまは、もう通わない。あの、素晴らしい愛をもう一度。あの、素晴らしい愛をもう一度。という痛切な「フォークのメッセージ」は、現在「ずっとそばにいるよ」「一生守ってみせる」「声を聞かないと不安になる」に変質してしまいました。我々は、アンチエイジングなどしている場合ではない。大人という、非常に贅沢な演技が全うでき、老人という、非常に贅沢な本質が全うできる社会を取り戻すために、全セクション総力を上げて闘って行かねばならないのです。故人の死をデカダンにしてはいけない。心よりご冥福をお祈り申し上げます。